- 龍昇院〒885-1104
宮崎県都城市野々美谷町
481-8
TEL:0986-36-2308
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慈照山 龍昇院とは
都城市野々美谷町
慈照山龍昇院は、都城市野々美谷町にあり、霧島連山を源流とする庄内川と宮崎県の中心を流れる大淀川が合流する地点に位置します。近くには、八つの曲輪が集合して成る、野々美谷城があったと伝えられています。
野々美谷城の築城年代について不明な点が多いですが、1352年(正平7)北郷資忠が薩摩迫に入部した頃の築城と伝わっております。その後、球磨の相良氏に侵され、相良前頼が入った事もあったそうです。
1394年(応永1)島津元久と北郷義久がこれを攻め落とし、樺山音久に守らせましたが、1521年(大永1)にはその子長久を大隈小浜に移し、北郷尚久を城主としました。同3年11月、都於郡の伊東尹祐が北原久兼と組み、大軍を率い攻めてきました。尚久は流れ矢に当たり討死しますが、攻め手の尹祐も攻城中病死した為、この際は事なきを得ますが、後に北原氏に攻め落とされます。
1599年(慶長4)庄内の乱が起こると島津忠恒に攻略され、北郷忠能の領有となり、1615年(元和1)一国一城令により廃城となりました。
これらの様に、野々美谷城は侵略の要地として古来から略奪の的となり、それ故、多くの戦没者が眠っておられます。 当院ではこれらの事から境内地に「殉国、殉難供養塔」の碑を建立し、この地を始めとして全国の戦没者鎮魂供養を日々の勤めの柱と考えております。
本堂内とご本尊
中央本陣に本尊大聖不動明王、脇侍千手千眼観自在菩薩、弘法大師を祀り、参拝される方々の現世利益、諸願成就などを「護摩」の火を以って、力強く祈念しております。
向かって左側左陣におきましては、中央に多宝塔を安置し、脇に不動明王、弘法大師を祀り、因縁、業をからう一切精霊の成仏供養、施餓鬼供養を含め懇祷しております。
また向かって右側右陣におきましては、霊験あらたかな龍神を祀り、近年の天変地異による自然災害、あらゆる交通機関の事故、社会不安より起こる事件等から身を守り、一切災厄を祓い浄める祈りを奉げております。
以上、本堂においては如来の大誓願、衆生済度を実践すべく、あらゆる方々の願望、不安に対応できるようになっております。
ごあいさつ
仏は、いつも手を差し伸べています。 この手を掴むかどうかは、あなた次第なのです。 手を掴むということは、仏を信じることか? 仏を信じるということは、どういうことか? 仏を信じるということは、己を信じ明日を信じることです。 老若男女、どんな善悪の過去があろうと、いつ何時、何処に居ようと、「今から」「ここから」という気持ちで歩んで下さい。 必ずや、「生きる喜び」「生きている喜び」が観えてくるはずです。仏の手を取り、己を信じて、共に幸福への道を歩みましょう。
住職 伊藤 妙天